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侍ボール
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「侍ベースボール理論」 - The Art of Samurai Baseball

WBC、マネーボール、侍野球など、国際大会で勝ち抜くための「侍ボール」野球理論を編纂した指導書です。

プロローグ

1993年秋 - 大学野球日本一を賭けた戦いが神宮球場で行われた。

史上初の大学野球日本一を目指す青葉学院と10度目の優勝、連覇を狙う早経大学の対戦である。

青葉学院の4番サード、キャプテン小暮は甲子園出場経験はないが大学で才能を開花させてチームを牽引していた。

1年生のスーパールーキー、井出も攻走守、三拍子揃った選手で3番ショートでスタメン入りし、小暮と”黄金の三遊間”を形成していた。

一方、連覇のかかる早経大学は甲子園優勝投手、エースの佐藤勇気を筆頭に、4番大宝ら甲子園出場選手でレギュラー陣が固められていた。

  

マスコミの下馬評は早経大の連覇だったが、青葉学院の初優勝を夢見るひとりの青年がいた。

  

フィールドでもなく、ベンチでもなく、神宮球場の観客席にだ。


  

その男の名は谷口タカシ。原、篠塚、中畑選手ら80年代ジャイアンツの黄金時代のメンバーに憧れて野球をはじめ、サード原、セカンド篠塚、ファースト中畑と夢のコンビを組むことに憧れ、少年野球ではショートを守った。

長嶋・王選手、いわゆるONというプロ野球日本シリーズV9を達成した国民的スーパースターが引退し、王助監督が藤田監督を支えていた時代、そのV9の栄光の影に苦しんでいたジャイアンツが1981年、大澤監督率いる日本ハム・ファイターズと後楽園球場で決戦し、V9以来、8年振りの日本一に輝いた。

”世代交替”はどのチームでも課題だが、天覧試合サヨナラホーマーや本塁打世界記録などの伝説を作ったONのあまりに大きすぎる背中が重くのしかかったのはジャイアンツも例外ではなかった。

その影を払拭したのが、1981年の日本一で、その中心選手が野手では原、篠塚、中畑、投手では江川、西本、定岡らの活躍だった。

しかし、その栄光もV9のようには続かず、翌年の日本一は広岡監督率いる西武ライオンズだった。

そして1983年、”球界の盟主の座をかけた一戦”といわれる巨人vs西武の球史に残る一戦が行われた。

そのシリーズは逆転につぐ逆転の多い試合で、谷口少年は手に汗を握った。視聴率は平均40%を超え、日本中を興奮のるつぼにしたが、先に王手をかけたのはジャイアンツだった。

V9が終わったとはいえ、「巨人、大鵬、卵焼き」という流行語どおりにまたジャイアンツの優勝か、と思わせる空気が漂う中で、1-2の第6戦の9回表に篠塚、原出塁後に中畑の逆転三塁打で3-2とし、9回裏を迎えた。

あと3アウトでジャイアンツのVが見えていた。谷口少年は「あと3つ」とつぶやいていた。

しかし、第4戦登板時に太ももを痛めた江川投手がブルペンで投球練習をしていたものの、最後のマウンドに向かったのは第2戦完封、第5戦も完投勝利と好調の西本投手だった。

この二人の投手は現役時代口も聞かないほど、「エースはオレだ!」というプライドを持ち、ドラフト1位のエリート江川とドラフト外の雑草西本という対比が最高の緊張感をかもしだしていた。

この場面で、西本が最後にマウンドに登ったことで、観客はどよめいていた。結果、連投の西本は打たれ、延長10回には江川も打たれ、サヨナラ負けを喫してしまった。後に"世紀の継投”といわれる程、議論になったシーンでもある。

しかし、第7戦の先発もまた西本。6回までは完璧なピッチングだったが、7回に無死満塁からテリーに走者一掃の逆転二塁打を打たれ、3-2で勝ったのは西武だった。

「えっ、うそだ・・・。」谷口少年の脳裏に衝撃が走った。純粋無垢な少年が生まれてはじめて、期待を裏切られたような、ショックをうけたのだ。

西武ファンは歓喜し、デパートではセールが開催された。1週間経っても、1ヶ月経っても、信じられない、悔しさを超越した”敗者のファン”としての現実をうけとめられない少年の姿がそこにあった。



"革新"が"伝統"に勝った瞬間だった。"球界の盟主"の座は西武ライオンズに移ったのか。

いや、少なくとも1983年において最高のチームは二年連続で、西武ライオンズだったということではあるのだ。しかし、1982年から1992年までの11年間で9度の出場で8度日本シリーズ制覇をした西武はまさに黄金時代に突入していった。

そしてそのターニングポイントとなった10年後の秋、今度は自らの所属するチームが"革新"として"伝統"を破り、大学日本一になり自分もフィールドに立つ筈であった。準決勝までは。

大学選手権準決勝、東海相模大学戦で8回2死二、三塁の場面でセンターバックスクリーンの大飛球を追いかけたセンター、そうチーム事情によってセンターに回った二年生谷口は、ダイビングキャッチで左中間の大飛球をアウトにしたが、レフトとの接触を避けながら当時はまだ硬かったフェンスに激突し、入院。

チームは谷口の好守もあって1-0で勝ったが、彼自身は右膝半月版損傷とアキレス腱を断裂し、スタンドから決勝戦を眺めていた。

・・・・・・


そして2013年、「もうあれから30年になるのか・・・。」谷口は呟いた。

衝撃を与えた西武vs巨人の決戦から30年、大学野球日本一を賭けた戦いから20年、そして松井秀喜選手が海を渡り、ヤンキースの選手となってから10年の月日が経っていた。

2013年春、不慮の事故でプロ野球選手になるという夢を絶たれた谷口はIT企業のエグゼクティブ・アナリストになっていた。

3月2日から開催されたWBC2013で日本はベスト4、3連覇の夢は絶たれた。

「セイバーメトリックス」という米国野球界を席巻する分析手法を用いたビル・ジェイムス(現ボストン・レッドソックス、シニア・アドバイザー)は警備員として夜勤の間にその手法を考案して好きな野球チームの顧問職についた。

何故日本が負けたのか、メディアの記事をみても原因の追究に納得がいかなかった谷口は独自に分析をすることにした。

「やってみるか。」


つづく・・・